祖母の危篤の話と働き方改革について

photo by [Jenna & Tristan Shouldice]

実は、母型の祖母が危篤だ。脳梗塞で倒れた…

僕が小さかったころ、本当に優しくいつも笑顔で接してくれていた祖母。

僕は自宅から近いせいか、小さい頃からよく面倒をみてもらっていたおばあちゃん子だった。

なぜだかわからないが、僕だけではなく孫は皆「お母さん」と呼んでいた…

おそらくおばあちゃんと呼ぶにはもったいないぐらい若々しく優しい第2のお母さんに映っていたのだろう…

走馬灯

僕は、結婚してから距離が離れ祖母とはなかなか会えずにいた。

母から祖母が危篤と連絡をもらい急いで支度をし土曜日ということもあり、家族で病院に向かった。

病院に着いて祖母には、会えたが変わり果てた姿で面影は全くなかった。

涙が込み上げてきた…

話しかけても反応がなく目は開いていたが、誰だかわかっていない様子だった…

ただ、パチパチと瞬きをする癖があったので話しかけると目をパチパチと繰り返し返してくれた。なんだかそれが、合図をしてくれた様にも感じた。

僕が小さい頃、母がいない時は野球帰りに祖母宅に行ってよく夕飯を食べていた。

母とは違った味の手料理がまた美味しくバクバクと食べていた。祖母は、本当に優しく怒られたことがほとんどなかった。

そんな思い出が走馬灯の様に蘇った…

お盆と年始

ぼくは10年以上、とあるお店で働いている。

お盆と年始は繁忙期でとても忙しく、なかなか帰省ができない。

ようやく3日ぐらいまとまった休みが取れたと思うと、世間は皆忙しく働き出す時期…

そんな生活をしていると親戚と顔を合わせるお盆と年始は、なかなか挨拶ができない。サービス業の宿命というやつだ。

その様な感じで月日があっという間に流れてしまった…

後悔

祖母はなんとか命は取り止めたが、覚悟はしとくように医者から言われた。

その時、妻がポツリと祖母の話しをしてきた…

妻の祖母はだいぶ前に亡くなったのだが、祖母の葬式に出られなく今でも後悔しているという話だった。

当時妻は銀座で、とあるアパレルの店長をしていた・・・

祖母が亡くなって、葬儀に出る予定だったが、タイミングが悪く仕事も忙しく代わりの人もいない、どうしようもない時だったそうだ。責任感が強い性格もあり仕事は休まなかった。

とても優しかった祖母の葬儀に出られなかった…

後悔していると…

余裕のない忙しさは全てを奪う

hoto by [Jenna & Tristan Shouldice]

毎日が忙しく働き蟻のように働き回る日々…

妹とも久しぶりに会ったが4歳の子供がいる中、子どもは遅くまで保育園に預け、共働きで毎日が忙しいと聞いた。

僕もつい「忙しい」と口走ってしまう。ふと忙しいとはなんなのか?なぜ「忙しい」という都合のいい、言い訳がまかり通ってしまうのか?考えずにはいられなかった。

忙しくって…

いつの間にか、口癖のような言い訳が習慣化されていて考える暇さえなかった。

全てがお金で解決するとは思わないが、じぶんの時間を大量に使って働いて果たして幸せなのだろうか?

朝から晩まで働いて、子どもの顔を見れずいつも見るのは寝顔だけ…

そんなサラリーマンはごまんといる。

ニュースなどで、「働き方改革」が行われているが、繁忙期「残業100時間」OKだそうだ。

さらに「2ヶ月連続80時間」も可能とのこと。これが日本のサラリーマンの現状だ。

話がだいぶ脱線してしまったが「後悔先に立たず」という言葉があるが、言い訳をしてもなにも始まらない。

まとめ

hoto by [Jenna & Tristan Shouldice]

やはりじぶんの時間を作るとなると、生産性の問題に行き当たる。

忙しく拘束時間が長いわりに給料が伴わないのは、生産性が低いと言わざる負えない。

もし働いているのに満足いかない収入と感じるのならもっと短時間で自分の中で生産性を上げていくしか方法はないのではないだろうか?

限られた時間の中で、どう自分の生産性を上げていくかがこれからの課題なのであろう。

p.s
祖母は死期が近いがとりあえず命を取り止めたということで今はホッとしている…2017.2月2日にて

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